NHK大河ドラマ「どうする家康」で主演の嵐・松本潤さんがスタッフへのパワハラ的言動や撮影現場での悪態について週刊誌「週刊文春」が報じました。
週刊文春の取材によると松本潤さんはパワハラ言動の一つにスタッフに向かって「◯すぞ」と言っていたり、気に入らない人がいると「あいつを外せ」と横暴ぶりが垣間見れたらしいです。
また、松本潤さんが目立つように台本を勝手に書き換えて、共演者の見せ場を強奪したそうです。
松本潤さんのパワハラ言動や撮影現場での横暴ぶりがどのようなものだったのか詳細をまとめていきます。
松本潤が若手助監督に対して暴言「使えないやつは外せ」
NHKでは人材育成の一環で、若手を助監督に組み込むことがあるそうです。
多くの役者は、若手助監督が何か失敗をしたとしても厳しくも温かく見守ってくれます。
そうやって経験を重ね、演出担当へと昇格していきます。
しかし、松本潤さんの場合は違う。
松本潤さんは、予定時間内に撮影が終わらないことを何よりも嫌がる。
ある日、撮影が予定より遅れ、「助監督の仕切りが悪い」と苛立ちを見始めた。
◯すぞ!
そう吐き捨てていったという。
また、別の日には以下のようなことを口にしていた。
現場回せないなら外れてくれないか。できない人とやる理由ないんだけど、こっちは!
※上記は週刊文春 電子版より抜粋編集
若手が行なっているのだから、予定通り進まないことは普通の会社でもあることだと思います。
その環境に慣れた長くいる先輩たちが、不慣れな若手が少しでもスムーズにこなせるようにフォローすることが本来の姿だと思います。
そのような中で、相手を追い詰めるような言葉を発することは考えに苦しみます。
松本潤さんもおそらくドラマの撮影から放送までの行程を把握した上で、スムーズに後行程の事が進むようにと考えてのことなのかもしれません。
テレビで見る松本潤さんは自分にストイックで熱いイメージのある方なので、その熱さ故にでてきた言葉なのかもしれません。
しかし、それでも”◯すぞ”や”できないなら外れろ”といった相手を追い詰めるような言葉は選んで欲しくないものです。
また、週刊文春によると、「怒りに任せて丸椅子を蹴り上げた」とありました。
他にも、担当していた若手助監督は松本潤さんからのパワハラを受けて、現場には姿を見せず、脚本を配布する事務作業に回っていたといいます。
一昔前は、暴言のような発言で部下や後輩などを指導していたこともあると聞きます。
しかし、現在はそのような指導方法は間違っていると認識し始めているところなので、松本潤さんにも早く気づいてほしいですね。そして、若い芽を摘むことがないようにしてほしいものです。
松本潤のあだ名は台詞泥棒「俺が目立てばそれでいい」
第28話「本能寺の変」で信長が殺され、“目の上のたんこぶ”だった岡田の出番も終了。その前後から、撮影現場での“殿”の圧政は一層加速していく。
「中でも目立ったのが、脚本や演出の改悪です」(同前)
撮影に向け、カット割りを脚本に書き込んでいく過程では折に触れ、こう口にし、修正を求めていた。
「俺は絶対にそんなことしないから」
常に「家康」ではなく、「俺」がどう見えるかばかりを気にしているのだ。そもそも松本は、演出には並々ならぬこだわりを持つ。
週刊文春 電子版
松本潤さんが演出にこだわりがあることは、嵐のコンサートで演出とプロデュースを手かげていることで有名です。
踏み込みすぎな気がする
だらしないNHKの問題かと。
今回、演出に並ならぬこだわりがあり、どうする家康で主演を務める松本潤さんであれば、ドラマをより良いものにしたいと熱意が高まっての脚本修正をしていったと考えることができます。
その点を見ると別に問題はないように思えます。
ただ、気になる点が一つあります。
それは、週刊文春の記事にもある、「家康は」ではなく「俺は」と松本潤さん自身をどう見せるかが焦点になっているところです。
これでは、自分が目立てればそれで良いと思われ、台詞泥棒と言われるのも仕方ない気がします。
もし、脚本の修正理由が「”家康なら”そんなことはしない」と言った、演じている人物に焦点を当てての提案であれば違和感はなかったのでないかと思います。
では、今回松本潤さんが行なったという”改悪”とはどのようなものだったのか見てみました。
第31話「史上最大の決戦」。この回から髭を蓄えた家康は信長亡き後、豊臣秀吉(ムロツヨシ)との全面対決に挑む。清須城で作戦会議を行う場面。元々の台本では、家臣の本多正信(松山ケンイチ)と小平太(杉野遥亮)がこんな会話を繰り広げていた。
正信「地の利を活かさねば、10万の兵とはやり合えませぬ」
小平太「榊原康政、策を献じまする!」
家康「許す」
小平太「ここは兵をひかず、前に出てはいかがかと」
引用:週刊文春 電子版
出所:週刊文春 電子版
家康「いや、待つだけでは勝てぬ。前へ出るぞ」
代わりに小平太の「前に出てはいかが」は削除。家康のリーダーシップを強調するため、小平太の台詞を奪った形になったのだ。
引用:週刊文春 電子版
元々、やり取りにほぼ出番のなかったはずの松本潤さん(家康)が、他の方の台詞を消して(台詞を奪って)から、自分の出番を追加しています。
家康のリーダーシップを強調することが家康らしさを出す上では必要だったのかもしれません。
しかし、作成済みの脚本や演出には家康を登場させなかった意図があったと思います。
それにもかかわらず、すでにある台詞を削除してまで松本潤さん(家康)を登場させてなくても良かったのではと思ってしまいます。
〈小平太は、紙を広げおもむろに図面を引きはじめた。小平太の案に家康は「うむ」とうなずいて、(中略)――それが、この“堀を作る”という計画であった〉
では、実際の放送はどうなっていたか。机の上にある地図を引き寄せた家康は閃いたように、
「小平太、この堀を作り直せ。気づかれるなよ」
堀を作るという重要なアイデアの主が、小平太から家康に変わっていたのだ。松本は表情だけで演じることを嫌がるという。「もうちょっと言わないと俺は芝居がしにくいな」と共演者の台詞を自分のものにする。こうして、現場でついたあだ名は「台詞泥棒」だ。
引用:週刊文春 電子版
元々は小平太が重要なアイデアを閃いたシナリオになっていたにもかかわらず、自分の芝居がやりにくいと言う理由で、松本潤さん(家康)の手柄になるように台詞を変えたというのは、「台詞泥棒」と言われても仕方ないと思います。
1つ目にあったような、登場人物のことを少しでも思って気持ちがあるのであれば妥協の気持ちも持てるかもしれません。
しかし、2つ目の「自分の芝居がやりにく」と言う理由だけで、当初の脚本、演出を変えてしまうのは如何のものかと思います。
演者の芝居の向き不向きはあると思います。それでも、自分勝手な理由でそもそもの前提を変えるような行動ではないやり方を選んで欲しかったですね。
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